永遠の15分

 背伸びして一番上の棚にDVDを並べ終わり、腕を下ろそうとした瞬間だった。ちょうどその時、隣にいた男の人に腕をぶつけてしまった。

「あっ……、申し訳ありませんでした……」

「あの」

 前日、客に意味の分からないクレームで追い詰められたばかりだったので、思わず身構えた。今日までも悪態をつかれたくはない。

 私の目の前の男性は少し躊躇しながら、右手に持っていたレシートほどの小さな紙を私の目の前に差し出した。

「これ」

「あ、落し物ですか?」

 私がその折りたたまれた紙を受け取ろうとすると、

「これは俺からあなたにです!」

と、彼はその紙を私に押しつけ、店内からそそくさと出て行った。

 私はぼんやり彼を見送った後、3回ほど折りたたまれた紙を広げてみる。そこには、私への好意の言葉とメールアドレスが書かれていた。そして、最後には「春になったら桜を見に行きましょう」と。

 私は恥ずかしくなって、他の客に見られないように、その紙をそのままポケットの中にしまった。

 手紙をくれた彼はよくお店に来る客だった。手紙には名前が書かれていない。茶髪で少しイマドキの男の人で、多分、年齢は私と同じくらい。私はメールを送るつもりはなかった。きっと、友達と罰ゲームでもして、ナンパみたいなことをさせられているのだろう。それか、メールの返信が来るか来ないかを友達と賭けたりとか。だけど、今度お店に来たら、もし、私のレジカウンターに並んだならば、その時、カードに書かれた名前を見てみようかなとは思った。

 

 彼は月曜、水曜、そして今日、金曜日にお店にやってきた。多分、毎週そのローテーションでやってきているのだろう。月曜と水曜、私はカウンターの奥で新しいDVDのラベルを貼ったり、パソコンへ登録したり、忙しく働いていたので、彼が来たことは分かっていたけれども、話すことはなかった。

 しかし、今日は私の担当するレジへ彼がやってきた。

「いつも深夜に働いてるんすか?」

「……はい、時給いいので」

 私は彼のカードを受け取りつつ、さりげなく名前をちら見。「ナカニシ カツオ」かあ。顔に似合わない名前だと思って、思わず笑いそうになる。

「メールが送られて来ないんだけど」

「……はい、送ってないので」

 DVDをスキャンして、防犯用のプラスチックを外す。

「千円です」

 お金を受け取りつつ、彼の手を見ると、意外とごつごつしていた。

「俺、ナカニシっていいます。また来ますから、サトウさん!」

「えっ」

 私は動揺しつつ、レンタル用バッグを彼に渡すと、彼はニコニコ顔で手を振って去っていった。

 ああ、私の名前、名札を見たのかあ。と気付くまでに少しの間があったので、私はちょっとだけ浮かれていたのかもしれない。

 

 次の月曜日、また彼はやって来た。

「まだメール届かないんですけど?」

 私は無言でカードを受け取ってスキャンする。カツオくん。ピッ。

「俺のお父さん、魚釣りが大好きで、それで俺の名前、カツオなんすよ」

 DVDバーコードを読みとりつつ、とりあえず頷く。

「深夜は人がいなくていいすね。こうやってお話しできるし」

 別に対話はしてないですけどね。

「千円です」

「最近、あったかいから桜咲くかなあ。早くお花見行きたいね」

 お金を受け取り、無反応でレンタルバッグを渡す。

「また来るよ!」

 彼は嬉しそうに去って行った。

 

 水曜日、彼は来なかった。

と、思っていたが、バイトを終えて店を出ると、彼がいた。

「まだDVD見終わってないから、今日は借りれないんすけどねえ。でも、話したかったから」

 そう言って、彼は右手に缶コーヒー、左手にミルクティーをかかげた。

「おつかれっす。どっちがいい?」

「……ミルクティー」

 私がぼそっと呟くと、彼はぽんっと手渡した。ミルクティーは冷たくなっていて、こんな寒い中、しばらく待っていたのかなと少しかわいそうな気持ちになった。

「春が待ち遠しいなあ」

 私はバイトで疲れていたので、遠慮なく飲み始めた。その時、いきなり彼が叫んだ。

「ああっ! こんなところに、もう桜が咲いてる!」

「え?」

 彼は自分の右手を覗き込んでいた。まさか、まだ寒いのに桜の花びらがあるはずもない。そう思ったが、私も彼の右手を覗き込んだ。

 すると、そこには100円玉があった。でも、よく見ると確かにそこには桜がデザインされていた。

「なーんだ……」

と、私が顔を上げると彼と目があった。一瞬間があった後、そのまま、彼の唇が私の右頬に触れた。

 

 金曜日、彼はお店に来なかった。なんとなく水曜日の一件で気まずかったので、少しほっとした。

 土曜日、私はいつも深夜にしかバイトに入らないのだけれど、いつも昼間に入っているタナカさんがインフルエンザらしいので、ヘルプとして珍しく13時から働いていた。

 週末の午後は、親子連れやカップル連れが多くて、お店もにぎわっている。そんな時、見慣れた顔の人が女性と共にやってきた。女の人は少し派手で髪もきれいに巻いてあって化粧が映えていた。「カツオくーん、ラブストーリーがいいなあ」と彼の腕にからみついて甘えている。

 私は少し、大きめな声で挨拶する。

「いらっしゃいませー」

 その瞬間、彼と目があった。あ、と私は思った。多分、彼も。

 

 次の月曜日には彼はお店に来なかった。水曜日にも。

 もしかしたら、お店には来ているのかもしれない。だけど、もう私と顔をあわせることはなかった。

 桜はもうすぐ咲くけれど、もうあの小さな花びらを2人で見ることはないのだろう。